駄駄駄駄駄駄駄駄

書きたいことを

出会い系下手くそおじさん

恋愛をせずに死ぬのが嫌すぎて出会い系に手を出した。恋愛をせずに っていうのが性欲にまみれたものなのか、ただの他人への憧れから来てるのか、回りに流されてるだけなのか、いまいちそれはわからないけど、世の中の大半の人が行い、楽しんでるものをせずに死ぬなんて本当に人生の三割は無駄にしてるような気がした。

出会い系サイトに登録すると、とてつもない量の異性の顔が表示される。それをひたすら眺めながらこちらが興味をあるかどうか示し続ける作業が始まる。まともな恋愛感情もしらずにこんなルーチンワークのようなものを行ったところで何か得るものはあるのかと思いながら適当にボタンをタップしていく。

今までの人生で自分の顔面がそこまで終わってるとは認識して生きてこなかったし、回りからは一人二人は当然いるだろうという扱いを受けて暮らしてきたために出会い系に登録さえすればなんとなくうまくはいくだろうと一種の奢りのようなものをもって参加していった。

案外簡単にマッチングに成功した。そして会話を始める。会話の中で相手は基本的に受け身であり、ロクに会話を広げてはくれない。最初のうちは出会うためのサイトで相手を積極的に知ろうとしない態度が理解できなかった。ただ気づくことになる。自分というものの相手から見た相対的価値の低さに。当然である。相手から見てよっぽど顔が良かったり、趣味があったり、なんかしらの魅力をより感じるような人間に接近していくのはなんの変哲もない行為だ。自分と言う人間は大して優れた顔面を持っているわけでもなく、"オタク"というものに嫌気が差し中途半端にアニメだったりゲームだったり、日陰者のマジョリティから離れていってしまったために多くの他者と共通する趣味さえ持ってなかった。自分の趣味でコミュティを探したところで、年齢層が自分よりもずっと上で愕然とさせられた。現実で趣味の話をすることがほぼないのも納得であった。そんな中で大して面白い話ができない人間が出来ることなど本当につまらない話ばかりで、相手からしても苦痛の時間であっただろう。自然とメッセージは続かなくなっていくものばかりだ。その上マッチングしても会話が始まらないという人が多く存在する。ここでも自分の相対的な価値の低さを強く実感する。最低限マッチングはさせてもらえるあたり、無くはない人間なのだろう。だから恋人くらい居たことある前提で他者からは見られるのだ。

最初のうちこそメッセージが続かなかったり始まらなかったりすることに傷つきはするが一月もやっていると、自分の評価がその程度であることを理解し、余計に作業的な意味合いが強くなる。

こうしてやっていると、ここでいいねを押した相手に自分は本当に興味を持っているのだろうかと考えさせられる。ただ若干好みの顔を選び、人としてのタイプが離れていなさそうならばいいねを押す。それで相手の何を好きだと思うのだろうか。恋愛を知るために試みがより恋愛がわからなくなってしまった。恋愛関係を構築するほどの感情にはまだまだ出会えそうにないし、よっぽど出会えなさそうな状況になってしまった。早いとこ恋愛を諦めて生きていく方が人生が楽しく見えるのかもしれない。三割を損してるとしても、その三割に気づかないふりをし続けていれば十割の人生を過ごせていると錯覚することくらいはできるのだから。