駄駄駄駄駄駄駄駄

書きたいことを

娜っ惰墮

自分としてはできる範囲内で最大限の努力を行った。

でも、他人からはその成果は認められず努力不足だと責められる。

まぁ仕方のないことだ。他人からは自分の努力は見えないし、逆に自分からも相手の努力は見えない。多大なる時間を払って相手はその場に立っているのかもしれないし、もしかしたらただただ自分の能力が極端に不足しているために努力が形をなさないのか。

ただ、その努力を真っ正面から否定されると、自分のなかでもその不足は認識してたらいっそう深く傷つくこととなる。

向いていないと一蹴して、他のことに目線を向ければ、その事実からは逃れられるし案外上手く行くかもしれない。ただその事にかけてきた時間や労力は帰ってこない。他人からしたらたいした成果ではないのだろうから簡単に切り捨ててもいいのかもしれないが、それほど上手く生きれていたらこんな心配は必要ないだろう。

いま求められているのは、それへの反発心だ。否定されたとしても、何もないわけではない。所詮素人同士の比べ物ならば努力次第では追い付きようなどいくらでもあるのかもしれない。

日本の教育者はダメだとか否定されるかもしれないが、反発心を養うには大いに役立っているとツイッターなどをみているとよく思う。いかにしてその得てきた反発心を自らのために、自己満足のために活かして行けるのか。それこそがとりあえずいま必要な考え方かもしれない。