駄駄駄駄駄駄駄駄

書きたいことを

話題

最近、人と話していて本当に話す話題が無い。相対してる相手と似たような年月を過ごしてきたはずなのに自分はビックリするくらい空っぽで何も出てこない。ひょっとしたら面白いことは有るのかもしれないけど、生憎それに目を向ける能力は置いてきたみたいで何も見つけられやしない。今みたいに話す話題がないって話題で人と盛り上がるくらい。ある意味話題はあるね。受け手の解釈によっちゃ失礼にもほどがあるけど。

雑にオタクとして人生を消化していると、人と話すときに確実に共通の話題があった。オタクは余計にその事に関してだけは情報はたっぷりあるから、話すことにはそれで困らない。ただ話すのは苦手な人が下手に相づちを打ったりするのが上手かったり、いじられ体質だったりすると話すとき、自主性を一切必要とせずに会話を行えてしまうから完全に自ら話す能力を養う機会は失われていく。

中途半端なオタクの良くないところは忙しくなってくるとオタクじゃなくなっていくこと。情報収集のしないオタクなどもはや、もやしか肉団子か。一緒に炒めたら案外美味しいかも。格好だけまともに寄せて、中身が空っぽになってしまうといよいよオタクの枠からは外れていく。いよいよ陽キャにはなれなくって、雰囲気で陰キャの中に固まっていく。そんな集団の中でキャラが立っている人なんて数えるほどしかいないから会話をすると地獄だ。全員話すことがない。飲み会で訪れる沈黙など地獄でしかない。仕方がないから話す面白い気が全くしない話で愛想笑いを勝ち取り、またそこから沈黙が訪れる。その繰り返し。受け身の姿勢をとるやつしかいない。確かに、人と一緒にいるときに会話を必要と思わない人はいる。彼らもそうなのかもしれない。でもそれを適用するのは今ではないはずだ。未成年だからお酒も飲まず、あんまり美味しくないご飯とこの後払わされる料金を比較してなんか勿体なさを感じる。居酒屋はそんなことのための場所ではない。少しでも話して元をとらねば。そうしてまたどうでもいい話をしてしまう。世の中の全く面白くない話を延々とできる人はこうやって形成されていくのだろうか。回りがいくらでも話を聞いてくれる人ばっかで、決して面白くないとは言わない。おかげで自分に対して勘違いをしていく。自分自身もそっちに足を突っ込みかけている気がする。せっかく面白い話をしている人の話に割り込んでいくタイプの人にはなりたくはない。

今はとりあえず面白いと思う人の話し方を真似するしかない。